「旧約聖書」の世界③

◯「掟」としての旧約聖書

 一般の読者にとっては、旧約聖書は物語としてなじんでもらったらいいかもしれないが、当事者であるユダヤ民族にとっては、そんな呑気な代物ではないらしい。

民族の古い歴史が記されているというのは確かに間違った理解ではないが、きわめて重要なのは、ユダヤ教の聖書は「律法」であるということである。

 知らなかったが、「律法」という日本語は、ユダヤ教の「律法」だけを指す特殊用語らしく、実際パソコンで入力しても変換候補に出てこなかった。元のヘブライ語では「トーラー」で、英語では「Law」という訳らしく、さしずめ「法律」「掟」といったところだろう。

 

○物語を「掟」として遵守しろ⁉️

 しかし、ここで大きな疑問が生じる。

「法律」「掟」は、行動の方針や義務、禁止事項などがあれこれ定められているものというのが、通常の理解だが、全体としては物語としての要素が強い。

 もちろん、一部には有名な「モーセ十戒」のような「律法」的な内容も含まれているが、やはり全体としては、ユダヤ民族の歴史物語として読むのが自然である。正直ここを一般の読者が理解して読むのは難しいと思う。

 

○いつ頃編纂は始まったのか?

 ユダヤ教民族宗教として確立したのは、前13世紀の「出エジプト」の頃と言われており、この時点ではそもそも聖書は存在していなかったので、ユダヤ教は聖書に基づいて存在しているのではない。

 定説では、聖書の編纂が始まったのは、前5世紀~前4世紀頃のことで、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」のいわゆる「モーセ五書」からだんだんとその他の文書が増えていくことになる。

 

○「七十人訳聖書」をめぐる論争

 今でこそ、世界各国で聖書は訳されており、その数は無数にあるが、もともとは、すべてヘブライ語で書かれていた。ちなみに、一般のユダヤ人はアラム語を使っており、ヘブライ語は、勉強をした知識人だけが分かる言語であった。

 そうした背景もあり、ヘブライ語聖書のギリシア語訳がつくられたことが発端となり、その後の聖書について論争を巻き起こすことになる。

 この時誕生したギリシア語訳聖書は、「七十人訳聖書」と言われ、前2世紀初めの頃の出来事である。

 いったい何が問題になったのか。それは、聖書の本物は、あくまで原語(ヘブライ語)のものであって、翻訳した時点で、「価値が劣る」「究極のところでは依拠できない」とする立場と関係してくる。

 もちろん、ギリシア語圏以外にも、無数の翻訳が施されたわけだが、この「七十人訳聖書」だけは、本家ヘブライ語聖書から独立して、自ら権威付けを行った上に、ヘブライ語聖書に含まれていない、最初からギリシア語で書かれた文書まで加えてしまったことで、聖書にどの文書が含まれるかという点で、異なる立場の聖書が併存することになったことが、後に火種を残すことになったのである。

 

○論争に終止符は打たれたが、、、

 当時「ヤムニア会議」と呼ばれるユダヤ教の知識人の集団があって、後1世紀末に、「聖書はヘブライ語で書かれた39の文書で構成される」と決定され、ユダヤ教的には、今日もこの立場が守られている。

 ところがである。キリスト教は、「ユダヤ教の聖書」を「旧約聖書」として受け継いだということになっているが、正確には、ヤムニア会議で決定された39の文書ではなく、最初からギリシア語で書かれた文書も含む「七十人訳聖書」を受け継いだのが実際のところである。

 

 次回は、個人的にも興味深い「創世記」の話を取り上げてみようと思う。