「旧約聖書」の世界④
○「創造物語」が二つある?
クリスチャンでなくても知っている「創世記」の物語。これまで、さらっと読んだことはあったけど、熟読、精読したことはなかったので、いい機会だと思い、時間をかけてゆっくり読んでみた。
そうすると、これまであまり意識したことがなかったが見えてきた。
結論から言うと、「創造物語」は二つ展開されているということ。この点については、気付いていたが、問題はその先にある。
もともと、「創世記」自体、ダーウィンの「進化論」と、クリスチャンが多いと言われる米国において、今現在も論争が尽きないのは、よく知られている話。ところが、「創造論」を真実としている聖書そのものにおいて、二つの「創造物語」が展開されているとは思いもよらなかった。
簡単にいうと、神が世界をつくる行為は一回きりの行為であるはずなのに、二つの物語で、世界をつくる手順が違っているということ。
ちなみに、相違点は下記の通り。
神が天地をつくった後に、、、
・植物が先で人が後か。人が先で植物が後か。
・男女同時につくられたのか、男のあばら骨から女がつくられたのか。
なんだかいちゃもんをつけているように聞こえるかもしれないが、そもそも理論的整合性を聖書に求めるものではないのかもしれない。そうはいっても、クリスチャンにとって、「聖書に書かれていることはすべて真実」ということなので、彼らはこの点をどのように読んでいるのか気になってしまうのである。
信仰をもって読むとそんな「些細な違い」は目に入らないし、気付かないのかもしれないが、、、。